>>17 シンプルに「努力」という言葉に正当性が無いと考えるようになったからだよ。
例えばアスリートがきついトレーニングに汗を流す。
これは目的達成のための合理的な行動だよね。
でも合理的な訓練量を超えてトレーニングを強制して選手を壊したり、
練習中は水飲むなとか、試合に負けたのはオマエらの努力が足りんのだとか
故障している選手を無責任に「がんばって、がんばって」と無理させてこれまた壊したり。
社会一般に流布されている「努力」という言葉には
とても不合理で、無責任な事例が多々見られる。
そういう理不尽な押し付け「努力」を拒否すると
「オマエは努力をしない怠け者だ」と事情も勘案されずにレッテルを貼られることは多い。
スポーツ以外でも就職活動、恋愛、仕事、受験、全てにおいて
都合の悪いことを「オマエの努力が足りなかったから」で決めつけて済ませる人は多い。
実際には必死に「努力」して上手くいかなかった人も多いというのに
成功できなかったというだけで多くの人が人格を否定され、ダメ人間のレッテルを貼られる。
一生懸命働いても稼ぎの少なかったお父さんが
嫁に「もっと努力してよ!!」って叱られるみたいにね。
そういった他人から強制される「努力」の強迫観念が
ブラック企業で百時間以上もサビ残するのは偉いのだとか
過労死するまで働くのは真面目な証拠だみたいな、歪んだ価値観を産んでいる。
僕が考えるに「努力」という言葉は、
支配者が被支配者に与える精神的な「ご褒美/制裁の口実」に過ぎない。
人間が自分の目的の実現のために、本当に必要なのは
無暗/無計画/強制の「努力」じゃなくて、合理的な知識/計画/行動なんだと思うんだよ。
そして合理的に考えるなら、生まれつきの環境の違いが結果の違いにも結び付くのは当たり前じゃないか?
恵まれた環境に居る奴だって、恵まれてない奴と同じように、「努力」するんだぜ?
もっと合理的で効率もイイ、恵まれた環境で「努力」するんだぜ?
なぜ「努力」だけで「環境」が覆せると思うのか。僕にはまったく理解できないな。
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