>>56で、「いじめ自殺事件以後の「いじめパニック」とでもいうべき状況」と書きましたが、もう少し詳しく書きます。
簡単に言って、大津の事件が繰り返しセンセーショナルに報道されたことで、我々の脳裏にこの事件が焼き付けられてしまい、
このような極端な事件・状況が、身近で繰り返し起こっているような「錯覚」を抱いてしまう。
それによって、「いじめやその解決策」について議論するとき、
極端ないじめのケースをすぐに思い描いてしまい、解決策として極端な対応を一足飛びに想定してしまう。
そういったパニック状況ですね。
さらには、大津の事件のように信用できない教師の問題がメディアで何度も報道されると、
あたかも全国のすべての教師がまったく信用に値しないというような偏見を抱いてしまう。
それによって、教師を敵対視し、親が極端な方法で自力のみで解決するしかないと思い込む。
しかし、全国の多くの教師は真摯に仕事に取り組んでるし、敵対視する存在ではなく、相談し互いに協力すべき相手だ。
戦争は外交の一手段である。こちらの命が危機にさらされたら自衛のために反撃に出なければならない。
子どもの命が危機に陥ったら、親は(犯罪行為も含めて)大抵のことはするだろう。
それは、たぶんこのスレに来ている人もみな同じだと思う。
しかし、外交の問題が発生する度に「よろしい、ならば戦争だ」という話になるわけでは無論ない。
戦争はあくまで最終手段だ。その前にやるべきことが山のようにある。
もし、
>>32に書いたような解決策がまったく機能しない場合、すなわち、
担任の教師も信用に値しない、生徒指導主任やスクールカウンセラー、教頭、校長などの管理職も信用できない、
市町村さらには都道府県の教育委員会に相談してもとりあってくれない、弁護士や警察に言っても動きが鈍い、
これらの杜撰な対応をメディアやネットに告発したが状況の改善が見られない・・・
そして、当の子どもの状況が緊急を要する場合、
はじめて、「よろしい、ならば戦争だ」ということになるでしょう。
返信する