真の究極の勝ち組とは=『生まれなかった者』


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001 2016/06/01(水) 01:06:33 ID:c3dn52i5sU
じゃね? 反出生主義という昔からある思想だが、オレにはこう思えて仕方ないのだが、間違っているだろうか?

ただ、生まれさえしなければ。 人生100年を全うするのに必要な、莫大なお金も、ありとあらゆる面倒ごとも、それら全ての気が遠くなるような莫大なコスト&リスクから、完璧に永久に、子孫まで、自由でいられるのだから。

しかも、その子々孫々までの自由を得るのに、なんの資格もコストもかからず、世界中の誰もが、その自由を得られる。
人と争ったり、傷つけたり傷ついたり、苦悩して迷って試行錯誤したり、その全てが一切不要だ。 これが本当にどれだけ、目もくらむほどに素晴らしいことか・・。 

そもそも、人は生まれて、何を求めるか? それは一言で言えば、『満足』であろう。生まれた者は全て、”自分を満足させなければ心の平穏はない”という、いわば『自分へ返済し続ける一生の大借金』を、他人から、強制的に背負わされた状態にある・・。 

この大借金を、自分(たち)だけは完済せんと!という追い込みが、有史以来、個人の、またこの世のありとあらゆる問題の原因にある。
だが、生まれてない者は、一切なんの『借金』も、背負っていない。 まるで、全てのニーズ&ウォンツを満たして、平穏に淡々と毎日を送る大金持ちのように。

結論=生まれてない者、彼こそ真の、本物の勝ち組である。 平穏な彼の日々が破壊される、唯一にして最大のリスク、それは親が、”我が子を持ちたい”という個人的かつ超利己的な欲望を我慢できなかった、その時。

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011 2016/06/01(水) 20:35:16 ID:7ylmrPJD7U
「おかあさん、私を産んでくれてありがとう」という台詞がありますが、これは理論的にはおかしい。
おかあさんは、とくにあなたを産もうとしたわけではないからであり、生まれてからあなたはあなたになったからです。

そもそも、誰も生まれようとして生まれたのではない。
このことをよくよく考えてみると、かならずしも生まれたことに感謝せよという結論にはならない。
勝手に生まれさせられたことを、深く恨んでもいいわけです。

私が親になっていちばんよくわかったことは——「親の恩」ではなく——親とはなんと自分の子供に対して狭量であり勝手であるか、ということ。
「おまえのため」と思っていることの九割がそうではなく「自分のため」だということです。

親から「誰のおかげで大きくなったのだ!」と問い詰められたら、「大きくならなかったら、誰がいちばん困るんだ!」と言い返せばいい。
それは親だからです。

私は、親をはじめ、他人に心配かけまいと思ったことがない。
私のことを心配する人は、勝手に死ぬまで心配しつづければいいのです。
それは、その人の趣味の問題。
私にはまったくかかわりのないことです。

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012 2016/06/01(水) 21:19:15 ID:7ylmrPJD7U
家族が大好きな人がいても、ちっともかまわないのですが、それはけっして人類共通の理想ではない。
家族を望まない人、家族が嫌いな人、家族に恨みを覚えている人など、山のような家族批判論者がいて当然なのです。

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013 2016/06/01(水) 22:58:53 ID:c3dn52i5sU
014 2016/06/02(木) 13:17:59 ID:LmSIqhTASs
>>11 >>12
過去に働いたら負けだと思ってると言ってるニートがいたけど
それレベルでこいつが何が言いたいのかさっぱりわからん
わからんがそれが個性だし環境によって変化する均一化出来ない価値観だと思ってるからこいつバカだとも思わん

要するに産まれたから勝ち負けなんかも推し量ることなんかできないという事だ

ちなみに俺は生きてる事が楽しいし今の環境を築くのに力を貸してくれた親にはもちろん周りの人達にも感謝している
そして俺が死ぬ時に『いい人生だった』と思いながら死ねれば最高だと思っている

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015 2016/06/03(金) 20:14:04 ID:mKPogImCnM
>真の究極の

←表現力は同レベルだね。

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016 2016/06/05(日) 08:13:21 ID:LkyPqL5fl6
幸福とは、思考の停止であり、視野の切り捨てであり、感受性の麻痺である。
つまり、大いなる錯覚である。
世の中には、この錯覚に陥っている人と、陥りたいと願う人と、
陥ることができなくてもがいている人と、陥ることをあきらめている人がいる。
ただそれだけである。

ひとは自分が紛れもなく不幸であること、しかもそれから永遠に抜け出られないことを、
身をもって自覚するほかないのである。
こうしたことを悟った者は幸福ではない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。

自己欺瞞にまみれていても幸福なのではなく、自己欺瞞にまみれているからこそ幸福なのだ。
自己欺瞞はわれわれを「幸福」という名の錯覚に陥らせてくれる。
そして、私はその錯覚に陥りたくないのだから、永遠に不幸である。

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017 2016/06/05(日) 11:21:48 ID:rtO1GcswF2
>>16
何かを得るために努力をし続けた結果幸福になるんじゃないの?
そういう人間って努力をする意味を知ってるからこれからも努力をし続けることができるんだよ
それのどこが思考停止なの??
バカなの??

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018 2016/06/05(日) 12:40:44 ID:Gbp6FI9iq.
>16
自身の弱さを「不幸」という都合の良い言葉に置き換えているだけですね。

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019 2016/06/05(日) 19:22:30 ID:LkyPqL5fl6
私は第一に上下関係と習俗習慣にがんじがらめになった(冠婚葬祭を典型とする)「正しいつき合い」が嫌なのだ。
そして第二に、「明るく希望をもって生きよう」とする鈍感で欺瞞的な多数派とのつき合いが嫌なのだ。
この二つが世間を支配している。

人生とは理不尽であるからこそ、なるべく肯定的にとらえ、
人生とは絶望的であるからこそ、努めて明るい顔をし、
未来には何もないからこそ、なにがしかの希望を抱いているふりをすること。
これが、現代日本で安全に(排斥されずに)生きるための処世術なのです。

正しいことのみが奨励される社会、いやそれ以上にほとんどの人が正しいことのみをする社会は危険な社会です。
正しいこととは、社会的に正しいことであり、すべての人が満足して顔を輝かせて生きている社会は、
考えただけでも背筋が寒くなってくる。

病んでいる人が多い社会、つまり多いことを公表している社会は健全です。
なぜなら、人間どう転んでも元気に楽しく幸せにばかりはしていられないからであり、
それを無理やりに「そうあるはずだ」として、
そうでない人を排除していく社会は危険な社会だからです。

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020 2016/06/08(水) 03:57:45 ID:Olhg9KUZcM
俺たちは3億の精子の競争を勝ち抜いたのではない
「どうぞどうぞ」と譲られただけなのだよ

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021 2016/06/08(水) 15:44:15 ID:3Sk0tQ3Hmk
【社会】親を捨てる 自分を犠牲にして親の介護する必要あるのか
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1465357...

生き物ってホント、凶々し過ぎる・・ 手に負えない。
大昔から今も、どの世界行っても、殺し合い・奪い合い構造を延々と続けることしか能がない。
なぜそんな拷問のような世界に、わざわざ子供を産んで、強制連行してくるのか。 

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022 2016/06/08(水) 19:29:32 ID:iPpVRyECHs
じゃあ何故
>>1は生き続けようとするのか?
この世から消えてしまえば
お前の理屈じゃ
今からでも勝ち組になれる
結局屁理屈言って
ネットで傷舐めてもらいたいだけ
違うのなら
自分はどうしたいか言ってみ?

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023 2016/06/09(木) 21:14:34 ID:JA6twpNZ/2
↑ それじゃー、死の苦痛恐怖といラスボスを、苦労して乗り越えないとダメじゃんw

初めから無が至高ベストっていうのは、それを省けるからこそのベストだって、なんで気付けない?

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024 2016/06/09(木) 22:06:10 ID:h6lA3afbrk
奇跡のような偶然で誕生した地球の数十億年の歴史の中で人間として生まれただけでも
奇跡のような出来事だと思う。
嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、そんな多様な感情を持てるのも人間の醍醐味だよ。

金持ち、高学歴、肩書き
人間の価値を100とするなら、そんなもん+0.01にしかにならんと思う。

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025 2016/06/10(金) 17:22:54 ID:X49oeF1wKs
>>24と同意見
>>1のように考えるのはまだ死ぬことが実感できない年齢だからなんだよな
40にもなると周りの人が引退したり亡くなったりすることが出てくるから
自分も死ぬことがだんだん身近になってくる
そうなると価値観がガラッと変わってくる

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026 2016/06/10(金) 22:00:04 ID:EIFAkDVOWk
父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。
・・・すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」
・・・産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

芥川龍之介 河童

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027 2016/06/11(土) 08:53:37 ID:pPbUASp6LA
勝負は同じ土俵にいてはじめて成立するもの。
生まれてこなかったら土俵にさえ立てないのだから勝ち組とは普通考えない。

歳をとったらしく最近、血を繋ぐ意味を考えるようになってる。
こればかりは縁によるもだけど自分の代で血が切れると思うと先祖に申し訳なく思う。

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028 2016/06/11(土) 09:10:15 ID:TV2nz39toI
私たちは、自分の才能や容貌(ようぼう)を選んで生まれてくるわけではありません。
親を選ぶこともできず、また誕生の時を選ぶこともできません。
それらはすべて私の意志にかかわりなく与えられるのです。
人間は自分で自分を生んだわけでも、作ったわけでもありません。
それこそ、こういう人間に生まれたくて生まれてきたのではないのです。それはまったく「思い通りにならない」ことです。
人間として生まれるということには、このようなまったき受動性がつきまとっています。
それは、まさに苦といわれるべきものでしょう。

赤ん坊が呱々(ここ)の声を上げるのは、喜びの声というより、むしろ悲しみの呼び声であるという人もおります。
しかじかの条件を与えられて、さあこれで生死の限り無い苦海を渡りなさいと投げ出されたら、泣き叫ぶよりほかに手はないだろうという解釈です。
それはあまりにも悲劇的な解釈だといわれるかも知れませんが、『大無量寿経』に
「独り生まれ独り死し、独り去り独り来る」
とありますように、勝手に条件を与えられて、さあひとりで生きて行きなさいと投げ出されるのが生まれるということであるならば、
それはやはりむごいことだといわねばならないでしょう。
あながちに、それは誇張だとばかりは言えない真実の一面がそこにあります。

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029 2016/06/11(土) 10:06:59 ID:hpY9gBxXFk
>>28 ようするに、運が全て、ってことだな。圧倒的な運の前では、努力ってせいぜい10%くらいの対抗力しかない。

オレ自身、それを身を持って体験した。今で言う家庭内虐待だが、昭和の当時は学校の先生ですら、まともに取り合ってくれんかった。
ま、面倒臭かったんだろうけどよ

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030 2016/06/11(土) 13:31:26 ID:CRtbyQDJbQ
人生勝ち負けでもないがあえて言えば
>>!みたいなこと考えてるうちは敗者、生まれてきてよかったと言えるようになったら勝者
それだけの話

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031 2016/06/11(土) 16:01:06 ID:picdC6MAAs
現実的に親への恨みつらみと、洞察したような気になってコメントしてしまいそうですが
案外本気でそう考えているのかも知れませんね。
まあ違う意味の裸の王様と言うべきか、どんな衣装よりも裸(無)であれば比べようもない、勝ると言えば勝る。
現実に生きる多くの人から見れば、そのまま見た通りなのでしょうけどね。

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032 2016/06/12(日) 07:45:40 ID:E04.fFoHUU
生きていく理由はないと思う。
いかに懸命に生きても、いずれ死んでしまうのだから。他人のために尽くしても、その人も死んでしまうのだから。

強制収容所から必死の思いで生還しても、どうせ死ぬのだ。広島で被爆しながら生きながらえても、どうせ死ぬのだ。
テロリストを撲滅しても、どうせ死ぬのだ。構造改革を断行しても、どうせ死ぬのだ。
ひきこもりから抜け出しても、どうせ死ぬのだ。

「どうせ死んでしまう」ことを知りながら、人はなぜ発狂しないのであろう。
この疑問に対する答えは一つだけである。
それは、パスカルの言うように、「死」を見ないように、考えないようにしているからなのだ。

いま地上に生きている六〇億を超える人々も、あと百年もすればほとんどが消え去ってしまう。
そして、永遠に地上に戻ってくることはない。
こうしたことを想像して周囲の人間風景を眺めてみると、不思議でたまらなくなる。

世の中のことはすべて、私にとって究極的にはどうでもいいのだ。
どんな悲惨な事件が起ころうとも、どんな理不尽な政治が行われようとも、どんな感動的なドラマが実現されようとも、
やっぱりどうでもいいのだ。みんな、どうせ消滅してしまうのだから。

人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生の終局は死であって、(たぶん)永遠の無に突入するのでしょう。
こうした差し迫った大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいいものに思われてしまうのです。

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033 2016/06/13(月) 19:02:07 ID:c1bMcMlMTo
>>32 ・・・だね。
ようするに、客観的な意味はほとんどないのだから、「自分が納得できるかどうか?」が最も大事であって、それしか残らないのかも知れない。

でも、あまり賢くなりすぎてこれに気づかれてしまうと、国家・社会としては、全体をまとめることが手強くなるから、色々とヤりづらくなる。

公教育ってのは、国家にとって国民にはこう在って欲しいという都合の良いステレオタイプに、国民をフンワリと懐柔していくユルイ洗脳装置みたいな面があるからな。 ”知らしむべからず 依らしむべし”って昔から言うでしょ。

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034 2016/06/15(水) 08:33:49 ID:L.PBuSs91s
悲劇のヒロインがいるなW

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