私たちは、自分の才能や容貌(ようぼう)を選んで生まれてくるわけではありません。
親を選ぶこともできず、また誕生の時を選ぶこともできません。
それらはすべて私の意志にかかわりなく与えられるのです。
人間は自分で自分を生んだわけでも、作ったわけでもありません。
それこそ、こういう人間に生まれたくて生まれてきたのではないのです。それはまったく「思い通りにならない」ことです。
人間として生まれるということには、このようなまったき受動性がつきまとっています。
それは、まさに苦といわれるべきものでしょう。
赤ん坊が呱々(ここ)の声を上げるのは、喜びの声というより、むしろ悲しみの呼び声であるという人もおります。
しかじかの条件を与えられて、さあこれで生死の限り無い苦海を渡りなさいと投げ出されたら、泣き叫ぶよりほかに手はないだろうという解釈です。
それはあまりにも悲劇的な解釈だといわれるかも知れませんが、『大無量寿経』に
「独り生まれ独り死し、独り去り独り来る」
とありますように、勝手に条件を与えられて、さあひとりで生きて行きなさいと投げ出されるのが生まれるということであるならば、
それはやはりむごいことだといわねばならないでしょう。
あながちに、それは誇張だとばかりは言えない真実の一面がそこにあります。
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