>>99 呆れた。
まだ分かってないらしい。
今日広く行き渡ってる法体系や倫理観、社会通念等が原因で生じた問題を、
既存の価値観に同調する立場から、同じ理屈を振りかざすことで解決できるってんなら、
おたくの言い分も正しいんだろうな。
だが実際はどうだ。
何の足しにもならないのに、誰でも分かり切ってる事を得意げにリピートし、
しかも、誰もが疑いもなく従ってる暗黙の了解を隠れ蓑に、
自分の発言こそ絶対の正義であるとほかの意見に譲歩しようともしない。
挙句の果てには「バカ」や「アホ」だののレッテル貼りで自分優位を演出。
いかにも低劣だね。
これでは議論が停滞してしまうし、いったい何しに来たんだ、って話にもなる。
そういう我を張って譲る気の無い主張はツイッターででもやってくれ。
さて、話を本筋に戻すと、
現役世代が高齢者の処遇をあれこれ言う時、
当のお年寄りや(現代の価値観で言う)良識ある人々からは
「高齢者を目の敵にしてる」「姥捨て山だ」として強い批判に晒される。
これは今、この瞬間を生きる高齢者世代に限定した話と受け取られ、
不平を生む為ではないだろうか。
だけど、今の現役世代も含めて、
今後は回復の見込みのない延命治療を完全自己負担にします、
加えて希望者にはペインコントロールの上尊厳死を認めますってお触れが出たらどうか。
人々がこうした考えを当たり前のものとして代を重ねたら———。
欧米ではすべての世代で、人間の死期についての明確な展望があり、
共通認識としてそれを受け入れているんじゃないのかな。
日本では、心臓が動いてさえいれば絶対的に人間だ、という立場でダラダラと人を生かし続けるが、
口に宛がった食事も喉を通らない、
自力で呼吸もできないでは、人間として、生物として、生きる資格があるだろうか。
私はそうは思わない。
盲目的に欧米に倣えというのではない。
様々な年齢で構成される社会だからこそ、
臨終の床にあるお荷物について一定の基準を設け、
社会的な管理の下に不合理を断ち切る必要があるって話。
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