あ、認めない立場だったね。
本人の意思表示を伴って胃瘻を止めるのと、
本人の意思を確認しないまま臓器を取り出すのとでは、もちろん意味が異なる。
前者は本人(を含めた家族)のためであり、後者は(家族を含めた)公益のためだ。
両者の意味合いは異なるけれども、おたくの言うように何でもかんでも一律に「人」は「人」、
「命」は「命」って排斥してたら、必要を叫ぶ声に対して許容は導かれなかったんじゃないかな。
この点から、現実と乖離した山本の正論は既に理想論に後退したといえる。
別な視点からいえば、人権を盾に甘やかすと、
増長した爺さん婆さんが財政資源食いつぶして、現役世代やそれ以降の世代が割りを食うわけ。
いくら相互扶助っていったって、医療技術の進展に伴って、
前世紀のそれとは負担の度合いが格段に重くなってるし、これから更に重くのしかかるだろう。
この状態を次世代に対する生存権の侵害とは捉えないのかね。
功利主義を標榜するわけではないけど、
社会全体を機能不全に陥らせない為には、ある程度の自己犠牲を強いても問題はない。
後期高齢者医療制度で図った現役世代との差別化は当然だ。
既に生産性を失って久しく、みんなの蓄えを食いつぶすだけの害悪だからね。
毅然とした態度で突っ撥ねなきゃ、何時までも図々しく居座り続けるよ。
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