私の父は幼いころ、父親(私にとって祖父)を戦争で亡くした。
その後すぐに母親(私にとって祖母)を病気で亡くした。
父は、だから、「家族」をよく知らないまま成長した。(やさしいきょうだいに恵まれていたが。)
だからだろうか、父は、「家族」や「家」に対して、強い執着があったように思う。
私は、私が物心つきだしたころから、そんな父が疎ましかった。
私の稚拙なプライドは、親と一緒に歩くことに恥を感じさせた。
私が大学生のころ、父は私の下宿にこっそりやって来た。母に内緒で。
私はそんな父を追い返した。「なんでそんな勝手なことをするのか。」と。
父は、私が高校生の時に脳梗塞になり、半身がマヒしていた。
弁解になるが、一人で遠出するのは危ないと思ったし、母はいったい何をしているのかと思った。
父は亡くなる1年前に別の病気にかかり、随分と体力が落ちてしまった。
それは、一目父の姿を見て、本能的にだろうか、会う機会を増やした方がいいかな、と思えるものだった。
それからは意識して幾度か帰省したが、普段あれだけ私に話しかける父が、めったに会話をしなくなっていた。
それだけ父の体力が落ちてもいたのだろうが、同時に、父自身も死を受け入れつつ、
ある種の戸惑いがあるのではないだろうかと自分には思えた。
具体的な話をしだすと精神が崩れるほど泣き出してしまうのではないかと。
父には「家族」や「家」に強い執着がある。
大学生のころ、私が実家に帰省し、しばらく滞在しているとき印象に残っている光景は、
父は朝と夕方に決まって縁側に座り、庭を眺めているものだ。
ずっと社宅暮らしで、脳梗塞をきっかけに退職し、母の実家の田舎にある中古物件を買った。
誇らしく、ある種の達成感がありながらも、少しさみしげなあの庭を眺めるまなざしには、
父の「家族」に対する思いが込められている気がする。
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