>>1 正確に言うと『人を殺してはいけないとは誰にいつ教わった?』からになっちゃうんだけど、
歴史や地域によって、人を殺しても咎めを受けるどころか英雄として国の長でいる人も居るわけで。
倫理や社会学などで視点は変わるものの、ひとまず“自分を含めた皆が上手く生活を送ることができないから殺してはいけない”が先。
誰を殺そうと奪おうと何でも自由、から始まった歴史なわけだけど、
結局皆が全て自由、を選択すると、『自衛で夜も眠れない、得たものも奪われる危険度が高いため安心がない、自分も家族も一生涯常に殺される危険性が高い、老いたり病に堕ちたら狙われて終わり』。
…などなど、結局皆がキツい条件を背負う。で楽に生きたい人間は“最低限のルールと、それを破ったらどうするか”を皆が楽に過ごすために皆が決めていった(全て自由よりこの方が楽だった)。
人間感情視点で言うと、そもそも神様というのは意地悪な存在で、例えば戦車に轢殺された子供の遺骸を抱えて泣き叫ぶ母の写真を見ると“何と酷いことを…”と、悲壮感や陰惨さ、怒りの感情が湧く。
ところがその戦車は世界中で模型として売られ、純粋な感情で子供が「これ欲しい!」と言い、父親と一緒にニコニコ組み立てる姿は平和だったりする。
監視カメラの暴力動画に不快感を覚えながらアクション映画に興奮したりも同じ。
慈愛と平和は好きだが退屈は嫌い、戦いに血が騒ぐが悲劇や惨劇は嫌いといった矛盾した生き物が人間なので、
その人間が『人を殺してはいけない』ということを唱えていることもミソ。
動物愛護や可愛い生物に心が休まり“生きとし生けるものに愛を…”と願うのも本物、一方で殺虫剤開発をして殺す研究を重ねる意欲も本物だったりする。
つうか視点が多過ぎて長文になるし、ちょっと無理かも…
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