ここは悩み板なので、個人的なエピソードを一つ。
大学時代、俺は中途半端な文学青年だったんだけど、
当時、何かの縁で話すようになった少し陰のある友人(コイツは理系人間だったが)、
そいつと、このスレにあるようなテーマで議論になったことがあった。
よくある若者特有の青臭い議論だ。
俺は、「動物は世界や人生の「意味」なんか考えない。本能のプログラムに従って生きるだけだ。
人間だけが、意味にこだわり続ける自己意識を持った生き物であり、
それは人間の特権であると同時に、人間を苦しませる元となる呪いなのだ」
みたいなことを熱く語っていたと思う。…今思い出すと、その「熱さ」が恥ずかしいが(笑)。
そいつは、それに対して、恐ろしいほど冷めた、そして強い口調で、
「でも、人間なんて所詮タンパク質の塊だよ」と言った。
つまり、世界という「認識」、自分という「意識」、そして人間の理性の営み全体が、ただのタンパク質の作用にすぎず、
思考だけでなく、すべての生命現象はタンパク質の作用の帰結にすぎないというわけだ。
当時の自分は、この「科学で人間をすべて説明・理解できる」みたいな人間味のない、傲慢でドライな物言いに無性に腹が立って、
猛烈に反論したように憶えている。
ところで。
そいつは、しばらくして病気でこの世から去って行った。
今でも、このときの議論が記憶の中からよみがえってきて、
死が近いことを知っていたこの友人は、どんな気持ちでこの言葉を発したのだろうか…
と考えてしまうときがある。
もしかしたら、この科学的思考こそが、かれを生(の意味)への執着から自由にしてくれた「彼の宗教」だったのかもしれない、
などと勝手に思ったりもするのだ。
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