世界という用語が曲者で
多分生まれてからすでにあった用語なので馴染んでしまっているが
現代社会では、特に若い人の脳を拡散させるドラッグのような作用を持つ
たとえば「世界史」が成立したのはいつだろうか?
私に言わせればだが、まだ成立していない
第二次世界大戦後、そんなものがあるべきだと一層認識強化が起きただけ
いまもって各国史であり、せいぜい西欧社会発展史、地域史
世界とか、グローバリゼーションとか、世界旅行が簡便になっただけじゃ、まだ人々は世界を受け取れていない。受け止める器量など端からないかもしれない
しかも、世界は人類の隅地球上の文化的な事績の交流、交通やまとまりではさらさらない
ところが、物理学が計算で、あるいはまた天文学が観測で把握しようとする宇宙の在り様も、世界の実相ではない
つまり、人間サイズの間尺に合わせて、人間中心的に認識できる、認識限界天蓋、イメージ極北としての「世界」は結構いい加減な造作である
その中にあって、世界の奇妙、奇怪、度し難さを云々する姿勢は全うなのか?
本当に世界が問題なのか?
そうではなく、混乱や無秩序な雑音干渉作用を排除したいだけなのか?
世界は昔からあったともいえるであろう
ただ、共同体で蓋をされ、宗教で蓋をされ、その安定した秩序の中に人々は混乱することなく安らうことができた
われわれは「それ」を喪失したことに戸惑い、代替物で補填され、癒えていないだけである
世界について、いささかも動じることなくいじくり、操作し、改訂することができるのは、
やはり脳細胞が半分くらい剪定された高齢者の特技である
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