勉学 といふものは、


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001 2014/01/15(水) 15:03:26 ID:biCCsE3f6I
「ある一定のレベルまではやれば誰でも出来る」とか言いますけど
僕からいわせれば逆に「ある一定のレベル」までがほとんど才能で
そこから先が「努力云々」ではないでしょうか?

例えばピアノやギターなど、指の形や長さによって初期段階から既に向き不向きがありますよね?
絵画なども最初は静物画の面取りやデッサンをやりますが、これなどもモノやカタチを捉えるセンスにほぼ左右されると思います
ブサイクな子が宝塚を目指しても所詮周りの笑い種というのがオチです

思い起こせば、学生時代に成績の優秀だった子はみな苦労している感というものが全くありませんでした
脳の造り自体が他のそれとは元々異なっているからではないのですか?
そういうのを早くから見抜いている子はみな大成していると思うのですが、

間違いでしょうか?

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004 2014/01/16(木) 00:59:32 ID:1d3tS.lKfc
『そして父になる』という映画がありますね。(自分は観てないですが・・・)
出生時に病院で子どもが取り違えられてしまうという、お話。

もし勉学において才能(=生まれ持ったもの、遺伝子レベルの問題、「氏か育ちか」でいうところの『氏』)がほとんどなのだとしたら、
優秀な遺伝子を持った子どもは、仮に取り違えられて、どんなひどい親に育てられようと、
優秀な成績を残すということになりましょうか?

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005 2014/01/16(木) 02:01:20 ID:HTdRi7h0GY
>>4
その問いだと、答えは両方でしょうかね
細かく言えば、義務教育に従うまでの生活環境というものは後の人格形成などに大きく影響はするのかな?と思います
そして、その環境さえ持ってしてもどうにもならないものが遺伝子ですよね?
ですから、自分の才能に気づいていない子供がいるとしますよね?
それを見いだし磨きをかけて育て上げたとし、、その結果が努力や環境によるものなのか?それとも才能か?
と言われれば、やはり才能なのではないでしょうか?
違うかな?w

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006 2014/01/16(木) 02:37:40 ID:1d3tS.lKfc
例えば、「ノーベル賞級の業績を残す」というためには、氏と育ち(遺伝と環境)、両方必要かもしれませんね。
仮に知的な障害を持って生まれた場合、確かにいくら環境がよかろうとノーベル賞をとるのは無理でしょう(平和賞は除きます)。
そういうわけで、確かに生まれ持った才能は大切ですね。

ですが、ノーベル賞のような極端な話は置いておきまして、>>1に書かれた「ある一定のレベル」というお話。
これは、どの程度を想定したらいいでしょう?
仮に、「東大合格レベルの優秀さ」としておきましょうか?
東大生の親が富裕層で占められているのは、よく知られた事実です。
もし、仮に生まれ持った才能で獲得できる学歴が決まるのなら、
もっと貧困層からも東大生が出てきてもいいんじゃないでしょうか?
神様は、金持ちか貧乏かで、遺伝子の差別はしないはずです。

でも、なぜそうなっていないのでしょう?
もしかしたら、お金持ちの子どもは遺伝子まで優秀なのでしょうか?

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007 2014/01/16(木) 02:40:01 ID:UVLrMj.6IA
努力云々てのも才能の一部って事に気が付いた。
成功した奴からすれば自分で頑張ったことにしたいだろうけど
努力する素質があってその通りに動いただけ

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008 2014/01/16(木) 06:23:37 ID:D2CLBecrng
>>1
努力も才能も環境も、「結果」を取得為のする「一要素」に過ぎないよ。

貧乏で才能が無くても逆境を糧として努力で挽回する人は居るし、
金持ちで環境が良く才能があっても性格がダメなら宝を持ち腐らせる。
もちろん、努力する為には環境が整っている方が良いが、絶対条件ではないし、
金持ちで才能があるから努力を怠るわけでもない。
すべての条件が同じ人間は二人としていないのだから、
「○○な人はみな××」などと単純化することは出来ないし間違っている。

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009 2014/01/16(木) 09:23:38 ID:b6zsj6EVc6
文系は知らないけど理系に限っては、「ある一定のレベル」というのは「高校教育までをそつなく終えていれば」という意味だと思う。
なぜなら、高校までは、公式の意味を理解せずとも問題を解けてしまうから。
俺は高校まで暗記一筋でなまじ成績の良かったバカだったから、大学に入って死ぬほど苦労した。

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010 2014/01/16(木) 14:11:07 ID:VNmgmPE9dc
しかしまあ
世の中は競争社会に身を置く人が大多数を占めるわけで
変な話
自分だけは極楽浄土へ行きたいと思ってお経を読む人がいると思えば
中には
生き方を勉強するためにお経を読もうとする人もいる
外見上は全く同じなんだが
まあ
なんだあな

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011 2014/01/16(木) 23:54:18 ID:1d3tS.lKfc
[YouTubeで再生]
努力、才能、環境、この三つがキーワードでしょうか。

>>7
よく「お前には努力する才能だけはある」みたいな台詞がありますね。
そうしてみると、やはり努力とは生まれ持った才能でしょうか?

しかし一方で、「その人が努力できるかどうかは、才能の問題と言うより環境の問題である」という考え方もあります。
どんな人間でも、幼い時期にネグレクトされたり虐待をうけたり、ひどい環境に置かれたら、そもそもまともに学校で勉強する気さえ起こらなくなってしまう。
逆に、しっかりした家庭でしつけを受け、お受験してエリート校に通い周りの友人や教師にも恵まれるような子どもには、努力する習慣が環境によって身につきます。
例えば、こういった対照的な家庭に育った二人の子どもが、高校生になってどれだけ勉強を頑張れるか、努力できるか、意欲のレベルですでに大きく差がついています。
そうしてみると、努力する能力は環境によって決まるようにも思えます。

果たして、努力する能力は才能によって決まるのか、環境によって決まるのでしょうか?

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012 2014/01/17(金) 01:49:16 ID:g1ii0CWO4M
小・中・高と成績優秀で某国立大学現役合格して
精神を病んで大学中退、人生ドロップアウトの僕が通りますよ

スレ主さんの言う通り、こと勉強に関しては苦労したって感覚はありませんでした
ていうか勉強が面白かったです、ゲーム感覚で
スレ主さんの言う脳の作りっていうより僕の場合、環境でしょうか
勉強を強制されない・勉強が楽しくなるって環境であれば気が付いたら勉強してますw

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013 2014/01/17(金) 02:16:34 ID:9U1PNNCicg
>>11
昔はその違いについて考えたこともあったけど今は運命の一言で片付く。
「○○していたら」っていうのはないと思う。
パラレルワールドってのがあればっていうのは否定しないけどそこに行けないから。
だからこのワールドでは一本道しかないわけで、
別の家に生まれたらと仮定するだけ無意味。

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014 2014/01/17(金) 02:43:04 ID:cR.JRIpZiY
>>13
「運命」ですか!!いい言葉いただきました。

どのような才能を持って生まれてくるか、どのような家庭環境に生れ落ちるか、それは「運命」なのである。
この「運命」を、「自分の力ではどうにもならない、生まれたときから決まっている、変えようがない定め」と言い換えてもいいでしょうか?

才能(遺伝)も環境も、「自分の力ではどうにもならない」運命。
努力できるかどうかですら、才能(遺伝)で決まるか、環境で決まるかわかりませんが、いずれにしても「自分の力ではどうにもならない」運命。
仮に、そうだとしたら、
人がどういう人生を歩むかは、「自分にはどうにもならない」運命によって決定されてしまうのでしょうか?

もし、あなたが今、勉強もできず、学歴もなく、努力もしないダメ人間で、最終的に犯罪者になってしまったとしたら、
それは、あなたの責任ですか?
それとも、あなたの責任などというものは存在しませんか?だって、人生は「自分にはどうにもならない」運命によって決定されてしまうんですから。

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015 2014/01/17(金) 04:55:12 ID:9U1PNNCicg
>>14
何かをやったらその責任が付いてくるっていう枠組みがあって
それに沿って運命が進むだけじゃん?
俺の感情的にはまだこの運命という考えには納得いかないけど
この論理を崩せる考えが見つかるまではしょうがない

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