>>46 あら?レリヴァンスって「独りよがり」の言葉でしたか?
レリヴァンスもしくはレリバンスは、学校教育と労働の接続の問題を論じるときには、近年よく使われるようになっている言葉だと認識しています。
よろしかったら文科省のページにアップされてる審議会資料(本田由紀さん作成)なども参考にしてください。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/09... これ使えるとちょっとカッコイイでしょ(笑)。
そして繰り返しですが、現実社会は、確かに弱肉強食で、競争主義で、自己責任で、倒れた者を助けてくれない万人の戦場のようなところがありますね。
自分や自分の子どもが、まずもってそこで生き残れなければ意味がない。山本さんの心配はわかります。
しかし、この椅子取りゲームは、仮に自分が助かっても間違いなく敗者が出てくる。それもたくさんの。
そして、いったん勝ったと思った自分も、いつ敗者=弱者になって社会から見捨てられ排除されるかわからない社会です。
ニューヨークのデモでは1%の人間が国の富の2割を所有し、残りの99%は持たざる者であることが告発されました。
「1%を目指して今の社会に適応して生き残らなければならない」それは事実であり必要ですが、
「今の社会のあり方がおかしいのならば、政治に参加して社会を変えようする」ことも必要でしょう。
極論すれば、ブラック企業の経営者だけが勝者で、それをみなが目指す社会は不健全です。
若者の投票率の低さが話題になったりしますが、現状を追認してしまうあきらめの現実主義ではなく、現実を変えようとする人間を育てること。
それも教育の役割の一つでしょう。
それは碁盤の上に石を一つ一つ置いていくような遅々とした歩みでしょうが、
社会システムはそこに参加する人間こそが変化させ創造してゆくのですから。
返信する