そもそも
>>86のレスは
>>1に対してだがな。
>有象無象の人間一般が人生に何を成して生きるべきかという点から批判的に論じている
何を成して生きるべきかねえ。俺は人間は人間機械論じゃないけど人間は一つの機械
としてしか思っていない。冷蔵庫に電子レンジの役割を期待しても無駄だし、パソコ
ンに扇風機の役割を期待してもしょうがない。なぜならそれは内部の構造が異なるか
らだ。同じように人間が能力的(=内部の構造的)に平等に出来てるとは思えない。
また野村克也の弁を引用するが、「試合というのはいったん始まってしまえば指揮官
だからと言って細かい指示はだせないものである」と言っていたが、人間も同じであると
考える。一旦親の体内から出てしまえば、基本的な枠組みは変更できない、と考えても
差し支えは無いだろう。素質、興味の対象、そういうものは変化しない。三つ子の魂百
までという言葉のとおり。人間は己のあるがままをいずれ受け入れていかざるを得ない
、という話に過ぎない。
鉄鉱石から鉄を製造することはできるが、金やプラチナのような貴金属は生むことはでき
ない。製造精製の過程は教育であり、それはすべて外から来たものだ。
>特別な存在である世阿弥の視点
じゃあ世阿弥を特別な存在にしてるのは一体なんだ?
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