勉学 といふものは、


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001 2014/01/15(水) 15:03:26 ID:biCCsE3f6I
「ある一定のレベルまではやれば誰でも出来る」とか言いますけど
僕からいわせれば逆に「ある一定のレベル」までがほとんど才能で
そこから先が「努力云々」ではないでしょうか?

例えばピアノやギターなど、指の形や長さによって初期段階から既に向き不向きがありますよね?
絵画なども最初は静物画の面取りやデッサンをやりますが、これなどもモノやカタチを捉えるセンスにほぼ左右されると思います
ブサイクな子が宝塚を目指しても所詮周りの笑い種というのがオチです

思い起こせば、学生時代に成績の優秀だった子はみな苦労している感というものが全くありませんでした
脳の造り自体が他のそれとは元々異なっているからではないのですか?
そういうのを早くから見抜いている子はみな大成していると思うのですが、

間違いでしょうか?

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002 2014/01/15(水) 15:57:58 ID:DXz9RHcVqQ
やきゅーやさっかーで何千万何億がおかしい
あそびでしょ

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003 2014/01/15(水) 22:21:14 ID:NxDo77LD2U
>>1
その通りだと思う

だけどバカでも努力すればまず人並みにまではたいていなれる
人並みの能力があれば頭一つ抜きんでるくらいにはなれる

1番になろうと思うとしんどいから止めた方がいい

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004 2014/01/16(木) 00:59:32 ID:1d3tS.lKfc
『そして父になる』という映画がありますね。(自分は観てないですが・・・)
出生時に病院で子どもが取り違えられてしまうという、お話。

もし勉学において才能(=生まれ持ったもの、遺伝子レベルの問題、「氏か育ちか」でいうところの『氏』)がほとんどなのだとしたら、
優秀な遺伝子を持った子どもは、仮に取り違えられて、どんなひどい親に育てられようと、
優秀な成績を残すということになりましょうか?

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