自分にできない事の一つや二つあるのって当たり前だよ
そ言う言い分が通らない時代がちょっと前まで普通にあった。出来て当たり前、出来ない奴は2流3流。
何で出来なんだ? なんでこんなこともわからないんだ? 何で理解できないんだ?
そう先生から、クラスメイトからずっと言われ続けて俺はおかしいんだと認識し、一生を通して自分の障害を隠し続ける発達障害者が何人いたか。
教育現場でアスペルガーや発達障害が認識される様になったのは、元々脳に違いがあって、本人の努力では如何ともしがたいという事実を
共有するためだ。
「出来ない人は出来ないんだから無理にさせたりせず個性を認めましょう」
では説得力に欠け、誰も認めたがらないし実際認めなかった。親も教師もそんな事認めたくないんだよ。
「努力すれば出来る。皆出来るんだから。」こっちの方が説得力があるだろ。努力する機会を奪っている。
努力がたりないからだ。皆そう思うさ。アスペルガーや発達障害という言葉が無ければね。
脳のどこに異常があるのか詳細は分からずとも、診断名が付くと安心するし納得する。そういうものだよ。
人間ってのは寛容さも持ち合わせているが、それと同時に、差別やイジメ、拒否、排他的思想や懲罰快楽なども持ち合わせている。
一人ひとりが違って当たり前なんて社会はまだまだ遠いよ。
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