産むな!!』 これこそが、人の全ての知と経験の、究極の最終到達点である。
と、オレはマジで心から思っているのだが、間違っているだろうか???
ま、世間じゃ、間違いだろうな。だが、オレから見れば、世間はもっと間違っていると思う。
もっと言えば、人間だけの話しじゃない。『生物そのものが、生まれてはならん』 心から、そう思う。
なぜなら、生物の存在するということは結局、『殺し合い・奪い合い・苦痛・虚しい徒労を生み過ぎるから』。
生存ってのは、もちろん楽しいことも多くあるが、それより苦痛と徒労のほうが、遥かに大きい。
自然界の動物たちは特にそう(今なら寒さで凍死する野良ネコとか)だが、人間でも長い人生で見ると、収支決算は似たようなものだ・・。
思い通りにならない事の、なんと多い事か? そんなくだらなく見える人生でも、メッチャ必死になってやっと、という虚しい徒労感・・。
なのに生き物は、人間もホントは分かってるのに、”子供を産まないと何かを得残った気分になるから、本能だし”という自分でも漠然とした動機で子を生み、
苦痛と徒労とリスクに満ちた数十年に及ぶ一生の再生産を、莫大なコストとリスクをかけて、生まれる本人の了解も得ないという、とんでもねー無責任さの元に、おっぱじめるww
まさに”利己的な遺伝子”の”乗り物”らしい操られっぷりだが、”知的”生命体として、いい加減、もう悟れ。
『存在しない・産まれない、ということが生み出す、絶対に保障された、究極の安寧と平和』を。
『無こそ、究極の、有である』 まさに、無知の知(=無の価値を知ることこそ、真の知)。
この理解に達し納得できた時こそ、人類が、本物の知的生命体に進化した時である。と思うのだが・・
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