生物は、発生すべきでは無かった、んじゃね?


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001 2014/09/15(月) 20:14:00 ID:oOIJLhDAfM
65歳以上は3296万人。総人口の25.9%は過去最高。 日本全体が、老人ホーム化ww
http://www.news24.jp/articles/2014/09/15/04259174.h...

オレは生物ってのは、人間もそれ以外も、『も〜厄介極まりなくて、手に負えない!』質のものだと感じてる・・。

自然界で生きてるあらゆる動物ちゃんたちだって、心情的には、生きて生き抜いて死ぬまでの弱肉強食の過酷な営みを、ホンネじゃ、あ〜まぢメンドイわ・・と思ってるんじゃなかろうか。

特に人類は、脳が極度に発達した為に、他人と比較してジェラシーに打ちのめされたり、悩み葛藤し苦しみ疲れたり、死後の世界までも心配し、それらのストレスで、ときに自殺にさえ追い込まれる・・。

そんな、イバラの道である生老病死四苦八苦の一生を全うしたって、世間から見れば、大樹から枯れ落ちる葉っぱの一枚でしかなく、
誰も彼を覚えていないし、居ようが居まいが、実はなんの影響もない。たとえそれが、立派な企業の社長などであっても。

実は、わざわざこの世に生まれてくるって、マジで完全に無意味じゃね? 人間に限らず、自然界の動物ちゃんたちも。 
『”生まれない”ことこそが、究極に安定した平和と幸せ』なんじゃね? コレが、人類の知の究極の到達点でしょ。 灯台もと暗し、みたいなw

PS:85歳になったお祖母さんに、合計¥1.5万のお取り寄せセットをプレゼントしたオレが言うのもアレだけどww

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002 2014/09/15(月) 20:37:33 ID:R4F.eYXAkQ
平均寿命50歳ぐらいの頃はそんなことは思わなかっただろうな
生きるのは単純に良いことだった
人間十五にもなれば一人前で、モラトリアムの期間などなく
ただ生きることに全力を注ぐしかなかった
もっと寿命が短い動物に至っては言わずもがな
結局、近代化、医療・福祉なるものがすべての均衡を崩してしまった

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003 2014/09/15(月) 21:33:48 ID:E2gaG6uhLM
>実は、わざわざこの世に生まれてくるって、マジで完全に無意味じゃね?
>(中略)
>『”生まれない”ことこそが、究極に安定した平和と幸せ』なんじゃね?

あの世があると思ってるの?

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004 2014/09/15(月) 21:52:12 ID:Dh383KR20.

神様がリセットボタンを押そうとしたら

俺が顔面パンチで阻止してやんよ

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005 2014/09/16(火) 00:08:37 ID:X0N4wmBfUo
二十世紀に入って物理学は急速に発展した。

ことに量子力学と宇宙論の進展は目覚ましい。
人間の知性は、ミクロからマクロに至る自然現象のすべてを解き明かそうとしている。

ところが皮肉なことに、物理学が進めば進むほど、大きな不思議がクローズーアップされてくるようになった。
それは、私たちヒトがこの地球に存在するには、単なる幸運以上のものがあったのではないか、ということである。

それは言い換えれば、この宇宙には、「宇宙意志」のようなものが存在しており、それがヒトという種を作り出したのではないか、
という考えである。

こんなことを書くと、人間を超越した“創造主”の存在を認めるようで、不本意なのだが、そうとでも思いたくなるようなところが、この宇宙には数多くある。

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006 2014/09/16(火) 00:10:42 ID:X0N4wmBfUo
●「宇宙は観測されることを望んでいる」

もちろん、物理学はあくまでも科学であって、宗教とは一線を引かねばならない。
しかし、物理学の発展は、もう“宇宙の原理”そのものに肉薄するところまで来ているのも事実である。
こういった状況を受けて、一九六一年にロバート・ディッキーが発表したのが「宇宙の人間原理」である。
彼は、この宇宙に生命が誕生したのはけっして偶然ではないと言う。宇宙が誕生し、さまざまな物理定数が決定された時点で、
生命が生み出される舞台はすでに作られていたのだと彼は発表した。
そしてその生命が、私たちのように知性を獲得することになるのも、同様に決められていたのだと述べている。

では、いったい何のためにヒトのような知的生命体が作られたのか。
「それは、宇宙が知性的存在を求めているからだ」とディッキーは言う。
私たちのような生命体が宇宙に望遠鏡を向け、宇宙の法則を解明しようとしなければ、宇宙は誰にもその存在を認知されることなく、
その一生を終えてしまうことになる。「それでは、宇宙の存在意義はなくなってしまう」と彼は言うのである。
つまり、宇宙は自分の姿を見るための“鏡”として、人類を作ったというのである。

このようなディッキーの考え方は、たいへん人間に都合がよすぎる、虫のいい発想に聞こえるかもしれない。
しかしその「人間原理」が、彼だけの単なる思いつきや奇説でなかったのは、続々と「人間原理」の論文が出されたことからも明らかだ。

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007 2014/09/16(火) 17:55:51 ID:X0N4wmBfUo
たとえば、イギリスのブランドン・カーターという学者は、一九七四年にディッキーの考えをさらに拡張した論文を発表した。
二人の説を区別するために、ディッキーのほうを「弱い人間原理」、カーターのほうを「強い人間原理」と呼んでいる。
ディッキーは、この宇宙が人間を生むために作られたとは言ったけれども、それが偶然であるか、それとも必然であるかは言わなかった。
だが、カーターは「そもそも宇宙は、人間を生むためにデザインされていたのである」と、その偶然性を否定した。

すでに述べたが、現在知られている物理定数以外の値で、この宇宙が作られていたとしたら、それはもう宇宙とはとうてい呼べないものが
出来上がってしまうことだろう。
電子や陽子だけが浮かぶ海のような“宇宙”は宇宙とは呼べず、したがって今のような宇宙が作られた以上、
それは必然的に生命を生み出さずにはおかれないのだ、というのがカーターの考えである。

●“神の領域”へと踏み込んだ現代物理学

ディッキーとカーター、どちらにしても、宇宙は現在見られるような姿になるのが必然であったとする点では、違いがない。

もちろん、だからといって、こうした宇宙の要請を受けて生まれたのが、地球上のヒトであるというのは言い過ぎかもしれない。
しかし、それが地球ではなくとも、宇宙は結局、知的生命を作り出したのではないか。
そして、それを「宇宙意志」と呼ぶことは許されないだろうか。

このような言い方は、宇宙を誕生させた「創造主」のような存在がいると仮定するようで、正直言って、
日本の物理学者である私としてはあまり気が進まない。
ヨーロッパの知的伝統の背後には、つねに“神”の存在が見え隠れしていて、これもその一環のように思えるからである。

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008 2014/09/16(火) 18:00:32 ID:X0N4wmBfUo
すでに述べたように、ニュートンは、宇宙の誕生において「神の一撃」を仮定した。
このことは彼が、創造主たる神を心の中に持っていたことを示唆している。

アインシュタインにしても同じである。
宇宙が無目的で、ただ単に偶然に作られたのではないとする考えは、無神論者の彼にもあったようである。
現に、彼は「神はサイコロを振らない」のだと言っている。
宇宙の誕生と進化は、ちゃんとした設計図に沿って行なわれたことなのだ、というアイデアが彼の根底にもあったことの証明だろう。

ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキングも、現在、私たちが見ている宇宙は、“神”のような、
何らかの手によって作られた設計図(デザインといってもいい)にしたがって作り出されたのだという趣旨のことを言っている。

物理学に“神”とか“創造主”という言葉を持ち込むのは、きわめて危険なことであるのは言うまでもない。
しかし、現実の物理学の歴史を見ていくと、今や私たちは「創造主」の領域に迫りつつあるというのも、事実であろう。
この宇宙を理解していこうとする人間の努力は、宇宙創成の瞬間をも解き明かそうとしている。
また、一方では生命進化の秘密も、徐々に明らかになりつつある。
三六億年前に地球上に誕生した生命は、今や“神のみわざ”を理解しようというところにまで来ているのである。

桜井邦朋(理学博士/元NASA研究員)著『宇宙には意志がある』より

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