>>24 まあ、長男で継ぐ家や墓もある身だからこそ、どうするか?ってだけじゃなく、意味そのものなんかも色々と考えるもんなんだけど、俺も最初は正直、今の君の様に漠然と義務的なものと考えてた。
だけど、祖父が死んで、親戚が家に集り寺へ行き、そこにある墓に祖父を収めて墓参りを毎年行うだけなら、そのままだったかもしれないけど、墓の引越しを行うって時に、親からも相談されて、結構考えさせられたんだよ。
結果、親とも話したのは、うちの場合、墓を新調し場所も変える必要があったんだが、改めて、墓そのものの必要性ってのを考え、感じたんだよね。
「墓参り」ってさ、おじさん、おばさん、弟、妹が、生まれ育ったこの場所に、それぞれの家族を連れて、盆や正月に「戻ってくる大きな理由」(弟・妹家族は、GWや祭りにも県外から帰ってきたりするけど)だよ。
なんだかんだ言ってもね。
なんで墓参りに来るかは、人それぞれだけど、そこに故人が眠ってるのもあるけど、自分のルーツがそこにあるからじゃないかね?
自分のルーツが曲がりなりにも形として見えるし、行けばそこに墓がある自分のルーツがあるっていう事実は、自分だけじゃなくて、その子や孫達の精神にも影響あると思うんだけどな。
あと、嫁が夫の家の一員である事を強く意識する(他の家の事は解らないけど、縛るとかではなく)ツールとしても大きい様に思う。
考え方は人それぞれで、全ての人がそう思うかは解らないけど、俺はそう思った。
。勿論、経済的な理由や環境的な理由も加味されて、思うとおりにならない事もあるだろう。
一からこれらを作り、維持していくのは、金銭的な負担があるから、軽くしたいと思うのも人情だと思うし、
君みたいにそんな形のあるモノなんて無くても大丈夫って言う人もいるだろう。目に見えないものだから実際に効力があるとか証明もできないからね。
ただ、親戚が集る「理由」として「墓・仏壇」、集る「場所」としての「家」。他所は知らんけど、俺は必要と思うから大事にしていくつもりだ。
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