親父は62で、お袋は66で他界した。両親とも生まれは昭和9年。
小学生の時代に戦争が始まり、中学に上がる前に終戦を迎えた。
育ち盛りに戦争の困窮の極みの中にあり、体躯は両親とも小さく、
戦時中の苦しみのせいか、晩年は食事が何よりの楽しみで、高い林檎なんかを食べると
涙を流して喜んで食った。幼い頃はそんな見窄らしく育った両親を不憫に思いつつ
自分の恥の一部のように劣等感を覚えて育った。
そんな極貧の中で育った両親だったが、自分には贅沢をさせてくれた。
お金が貯まると親戚から車を借りて九州から箱根まで旅行に連れて行ってくれた。
親の血の滲むような愛情の重さがわかりはじめたのは子供が出来たあとで、
その頃は両親とも、もうすっかり老年期で生活を楽しむ余力もなかった。
両親は生まれてから死ぬまでろくに贅沢もすることなく、ずっと貧しいまま死んだ。
自分は独立した後に何度も何度も両親に贅沢させてやる機会があったのに、
自分や自分の家族に贅沢させるためにその機会を逃してしまった。
古い時代の貧しい時代の子供たちの写真を見るたびに
こうして貧しい両親に孝行することもなく死なせてしまった親不孝を恥じて自分は涙する。
父よ!母よ!僕は親不孝な息子でした。なんと詫びたらよいことか!
苦しい生活を僕に見せることなく何不自由させることなく育ててくれた礼が言えなかったことを
なんと詫びればよいことか!書いていて涙が出る。父よ!母よ!育ててくれて有り難い。
貴方たちのことを恥じた僕をどうか許してください!父よ!母よ!
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