>>1 どうせ放っておいても、大事にしていていも親は無くなる。
人が死ぬ時、服は着ちゃ居るが最後は燃えるなりして裸だ。裸で生まれて死ぬわけです。
誰でもね。
どんな人(金持ちでも、無しでも)も同じ現象が起こり、何も持って行くことが出来ない。
宗教でも、宗教でなくても、死んだ後の事は考えたことがある?真剣に。
今の状態で一番辛いのは、親でも誰でもない紛れも無い>1でしょう。
そこは違いないと俺は思うのだが。
虐待を受けた事実は存在したまま、その思い出を持って死ぬのか
虐待の事実を、さらに今の状態を+αにして(さらに親に追い討ちをかける)酷い物に
してこの世を去るか、それとも少しでも解消しながら世を去るのか、非常によく
考えるべき。人を憎むのは、非常にエネルギーが居るし、長い時が経過した時に
死にかけるような事象が起ころうとも、色々と、ふと想いまた考える。 それくらい
人間は自分のこともよく解らないし、解っていることをまた考え直すことすらある。
まさに、その証拠が
>>1スレなんじゃないんだろうか。
中学生のような思考回路と行動を取り、後で自分のことを、ふと考えてしまう
価値の無い、自分の軌跡の人生の行動をとるのか
親を、関心させて 親を人間的な本質で抜き去る姿を見せるのか、よく考える必要がある。
それも、親が居て会話が出来る内に。 親はどうせ死ぬんだw 自分の為に
自分を悲しませない最良の行動を取るべきと私は思うよ。
苦しめられ、避けてたのに、最後は「自分を親不孝行をしているような姿に見せさせる親」
にするような親に色々な面で負けるな。
返信する