俺自身は別にそうではないけれども、うちの母系には薩摩系の人間もいる。
だからこそ分かるが、昔かたぎの薩摩おごじょこそは、
従順一徹な良妻賢母の鑑ともなっている。
それは別に偶然なわけじゃない。江戸時代に薩摩島津が将軍家や諸大名家に
数多の正室や側室を送り込んでいたものだから、嫁ぎ先で粗相のないように
徹底的な貞女としての教育を邦の女たちに施していたから。
孟子の言う「必ず敬い必ず戒め、夫に違うこと無かれ(滕文公章句上・二)」
を完璧に実践する、夫唱婦随のプロ。ただだからといって昔気質の薩摩女が
「普遍的な真理」としての男尊女卑のことわりまでをも悟っているのか
といえば、そういうわけでもない。あたかも法律を守るようにして
夫唱婦随を守り通しているだけで、普遍的に男が女よりも上なんていう
自覚を持っているわけでもない。薩摩女はそれなりに賢くても、薩摩男は
体育会系の単細胞ばっかだから、男に対する心の底からの崇敬なんてものは
育たなかったらしい。そのあたりは、本当に心の底から畏れ慎む他ない
男の中の男と対面することで、改めて行かなければならない部分だろう。
返信する