親になるとこまでいってしまうと懐かしく微笑ましく思ったりするけど
当時は焦って悩んで割と深刻だったな…
自分の場合は特に、もしかしたら同性の興味のほうしか駄目なのかも…って
普通はないファクター含んでたから余計に…
自分は正常、ヘテロなんだ!って意地でも自分を言い聞かせてきたから
その勢いがあってこそ…
もしも現在のような情報過多の時代だったら「そういうのもアリなんだ」って
カラダのほうを矯正する方向でやっちゃってたかも…
その、前例に倣うという流されやすい要素からいくと30代40代の童貞の存在を
知って俺もまだ大丈夫!っていう安心しちゃいけない安心感は危険かも…
顔を知らない悪友?とでもいう存在にヘンに流されて…
なにが言いたいかよくわからなくなったけど人間「こうだ!」と決めた方向へ
必死で突き進めばよほどの無茶振りじゃない限り意外と実現できてしまうもの。
方向がフラフラ曖昧だったり必死になることを恥ずかしがるのは駄目。
運良くむこうから当たってこない限りそうそう届きはしない。
仮にも種を残すという単純には生まれてきて最も重要なことを達成させるのだから
本気の必死でなにが恥ずかしいもんか?
死に物狂いで意地でも喰らいついて…
※ストーカーじみたことをしてでもって意味ではないです…
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