まず、妾腹の私生児のような極度に恵まれない境遇に生まれつくことが、虚言癖の温床となる。
人類史上最悪の虚言家であるナザレのイエスも、母親のマリアが夫持ちの娼婦で、
育ての父であるヨセフも土建屋と、どうにも言葉の正しい扱い方など身に付けにくい
境遇に生まれ育ったことから、自らを「神の子(キリスト)」などとうそぶいてまでの非行に走った。
では、そのような恵まれない境遇が必ずしも虚言癖に結び付くかといえば、そんなこともない。
母子家庭の妾腹の私生児という、イエス以上にも不遇な環境に生まれ育った孔子はといえば、
自らの自学自習によって正しい言葉遣いを身に付けて、イエスとは逆に史上最高の文聖とすらなった。
その孔子の故郷における振る舞いたるや、まるで唖(おし)のようだったとも
「論語」郷党第十・一にある。母子家庭の妾腹の私生児という、自らの恵まれない境遇を
心から恥じ入っていたものだから、孔子はできる限り我流の物言いを避けるようにもしていた。
それが徹底的な虚言癖の排除にも繋がったわけで、イエスにはそのような身の程の恥じ入りも、
我流の物言いの自制などもなかったものだから、甚だしい虚言癖こそを深刻化させてしまったのだった。
虚言癖に結びつきやすいような不遇な境遇に生まれ育った所で、孔子のような身の程の恥じ入りと、
不遇をバネにした自学自習とで、虚言癖を克服することが実際にできるわけだから、
最終的に虚言癖の持ち主となってしまうのは、やはり自己選択のせいだといえる。
イエスのように自らの身の程を恥じ入ることもなく、妾腹の私生児であればこそ自らを
「神の子」だなどとほざく思い上がりを募らせた時に、確かに自業自得で虚言癖を患う。
それは単なる環境ばかりによらない、己れの選択の賜物なのだから、同情のしようもないといえる。
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