おそらく
>>1が問おうとしている主題は
「如何にして学歴は人物評価の指標となり得るか?(仕事面において)」
ということだろうと思う。
これまでの議論を振りかえると、学歴肯定派の意見は概ね2つに集約できる。
演繹的意見:
「難関大に入るのは、頭の良い人物か、努力した人物である。
ゆえに難関大を出ているという事実は、優秀な人物だと判断する有力な証拠となり得る」
帰納的意見:
「ある難関大卒の集団とFラン大卒の集団を仕事のパフォーマンスという点で比較してみると
難関大卒の集団の方が、ある一定以上のパフォーマンスを示す人間の割合が多い。
故に、学歴を人物評価の指標として用いるのは合理的である」
つまりは、演繹的にも帰納的にも学歴は人物評価の指標として合理的だ、
というのが学歴肯定派の主張である。
もっともな意見であり、特に帰納的意見はかなり説得力があると思う。
しかしこれらの意見は両方とも推論である。
推論とは「既知の事柄を元にして未知の事柄について知ろうとすること」であり
未知の事柄に対面したときに行うものである。
では、このスレでいうところの未知の事柄に対面する場面とは何か?
入社試験である。
結局、学歴肯定派は入社試験において学歴を人物評価の指標として
用いるのことの合理性を主張しているわけである。
しかし、ここで
>>1は問う。
入社後の昇進を判断する際には、すでにその対象は未知ではなく既知ではないかと。
であるならば、推論という作業は必要なく、
学歴を人物評価の指標として用いる合理性などないのではないかと。
学歴肯定派はこれに対してどう答える?
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