皆さんご意見どうもありがとう。
自分は嫌いだ、とか、どう見ても馬鹿っぽいってのは多くの人が感じる事だと思うんだけど、
じゃあ逆に「○子」とか「□太郎」とかが良いかと言うとそう言い切る事も、
改めて考えると俺には出来ないんだよなぁ。
一般的な名前ってのは、要は安易と言うか、あまり考えてないと言うか。
例えばで申し訳ないけど、「純一郎」とか「孝太郎」という名前に、
親の愛情と教養を感じるかと言えば・・・正直微妙だ。
>>1みたいな名前に拒否反応がある人が多いのはわかって来たけど、それもやっぱり
過渡期の軋轢みたいなもんじゃないかなぁと思ってしまう。
>>2 独創的なら良いってもんでもないですよね?
>>9 たしか松尾芭蕉だったか、詳しくは忘れたけど・・・
「最近の名前は目新しさばかりで中身が無い」と嘆いてた歴史上の人物がいた。
つまり、時代が変わると名前の流行も変わり、前時代の人間は嘆く、という事が
延々と繰り返されてきているようなんですよ。
過渡期の我々がその変化を良いとか悪いとかいう持っているかと言うと疑問です。
>>10 ところがこれが、平凡な名前は平凡な名前なりに悩んだり嫌になったりするんですよ。
いわゆるDQNネームだから嫌いになるとは限らない。そう考える事も出来ます。
ましてDQNネームが自分だけなら浮きますが、こう増えて来るとそれほどでもないのじゃないかな?とか・・・
たとえばよく遊ぶ友達の名前が「キラ」「クウガ」「ハルク」「ナイト」で、
自分が「一郎」だったらどう思うか。
冗談ではなく、今は正にそういう風潮です。
この風潮は止められないような気もしますし・・・
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